2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」を楽しむために知っておきたい徳川家康の人生~前半~

どうする家康

※本ページはプロモーションが含まれています。

2023年1月スタートのNHK大河ドラマ「どうする家康

主人公は三英傑の一人、徳川家康

松本潤さんが演じます。

松潤だよ~!

脚本は、古沢良太さん。

『リーガル・ハイ』、『コンフィデンスマン JP』、『ALWAYS 三丁目の夕日』などヒット作品をたくさん生み出しています。

それは楽しみ~

徳川家康は、天下人・腹黒たぬき親父・健康オタク・・・なんてイメージがあるでしょうか。

とても有名だけど、どんな活躍をしたのか実はよく知らないのよね

「どうする家康」を楽しむために、家康の人生前半でこれは知っておきたい!という情報を、なるべく分かりやすく紹介していきます。

大河ドラマの内容をしっかり理解したいという方は、こちらの記事も参考になると思います。

※以下で出てくる徳川家康の年齢は数え年(誕生が1歳)で表記しているので、実年齢は1~2歳若くなります。

ちなみに、「どうする家康」の感想記事(※ネタバレ注意)も書いています。

第1話感想第2話感想第3話感想第4話感想

家康の人生前半は過酷

家康

激動の戦国時代・江戸時代を経て75歳まで生きた徳川家康。

この時代ではとても長生き。

その人生は波乱万丈!内容が濃すぎる75年間です。

三河の小さな国衆くにしゅうから天下を統一するまでにのし上がった超苦労人。

※国衆・・・地方の豪族

大器晩成で天下人となった家康ですが、人生の前半はかなり過酷です。

(※ここでは、75歳の半分の37歳までを前半とします)

家康の壮絶ストーリー(人生前半)
  • 3歳で母と離れる
  • 6歳から19歳までの長い人質生活
  • 桶狭間の戦いで主君の今川義元が討ち死に、19歳の家康も自害しようとする
  • お隣の武田信玄が強すぎる・何度も攻められる
  • 正室を殺害、長男も切腹させられる
  • 頼りになるおじを処刑させられる

こんな不遇な時期を耐え抜いたからこそ、大器晩成できたのかもしれませんね。

家康は、25歳までに名前が4回変わります。

竹千代(幼名) → 松平元信(元服) → 松平元康 → 松平家康 → 徳川家康

ここでは便宜上「徳川家康」で統一します。

押さえておきたい!家康が関わる大事な戦

大河ドラマでは、戦のシーンが見せ場となることが多いです。

ドラマを楽しむ上で、徳川家康がメインとなる戦は是非押さえておきたいですね。

特に、家康の人生の前半は、未熟な上に試練が多過ぎて、まさに「どうする家康」状態です。

徳川家康がメインの主な戦一覧

大河ドラマ「どうする家康」ではどの戦がどこまで描かれるかまだ分かりませんが、家康がメインの戦だけでもたくさんあります。

マークは家康にとって特に重要な戦なので、是非押さえておきましょう。

きっと大きな見せ場になるのではないかと思います。

歴史の教科書にも出てくる有名な戦が多いですね。さすが超有名人。

徳川家康がメインの主な戦一覧(( )は援軍寄り)

家康の
年齢
 対戦相手家康の
勝敗
1561年20歳善明堤の戦い徳川 vs 吉良負け
藤波畷の戦い徳川 vs 吉良勝ち
1563年23歳三河一向一揆徳川 vs 一向宗徒勝ち
(和睦)
1568年27歳掛川城の戦い徳川 vs 今川軍勝ち
(和睦)
1570年29歳金ヶ崎の戦い織田・徳川連合軍 vs 朝倉軍負け
姉川の戦い織田・徳川連合軍 vs 浅井・朝倉連合軍勝ち
1572年31歳一言坂の戦い徳川 vs 武田軍負け
二俣城の戦い徳川 vs 武田軍負け
三方ケ原の戦い徳川・織田連合軍 vs 武田軍大負け
1573年32歳野田城の戦い徳川 vs 武田軍負け
1574年33歳第一次高天神城の戦い徳川 vs 武田軍負け
1575年34歳長篠の戦い織田・徳川連合軍 vs 武田軍勝ち
35歳二俣城奪還徳川 vs 武田軍勝ち
1581年40歳第二次高天神城の戦い徳川 vs 武田軍勝ち
1582年41歳甲州征伐織田・徳川軍 vs 武田軍勝ち
天正壬午の乱徳川軍 vs 北条軍 vs 上杉軍和睦
1584年43歳小牧・長久手の戦い織田・徳川連合軍 vs 羽柴軍和睦
1585年44歳第一次上田合戦徳川 vs 真田軍負け
1600年59歳関ケ原の戦い東軍(徳川勢) vs 西軍(石田勢)勝ち
1614年73歳大坂冬の陣徳川 vs 豊臣軍和睦
1615年74歳大坂夏の陣徳川 vs 豊臣軍勝ち

※関ケ原の戦いの前哨戦については、ここでは省略しています

他にも、徳川家康がメインではなくても家臣や援軍として数多くの戦に参加しています。

特に、以下は家康にとっても重要な戦なので、知っておきたいところです。

家康の
年齢
 対戦相手勝敗 
1558年17歳寺部城の戦い今川 vs 鈴木軍今川軍の勝利家康の初陣、大活躍
1560年19歳桶狭間の戦い織田 vs 今川軍織田の勝利主君・今川義元の死、
今川家から独立し三河の大名へ
1582年41歳本能寺の変織田 vs 明智軍明智の勝利織田信長の死、
家康は参戦していないが
伊賀越えで大ピンチ!
1590年49歳小田原征伐豊臣 vs 北条軍豊臣の勝利豊臣秀吉が天下統一目前、
家康は関東へ移り江戸を本拠地に

家康が征夷大将軍(武士のトップ)に任命されたのは1603年の62歳。

敵対する豊臣家が滅亡する大阪夏の陣の翌年に亡くなっているので、最後まで動乱の世で生きた人生です。

強すぎる武田信玄との戦い!強国に囲まれた厳しい立場

上の表を見ると、30代前半で何度か武田軍と戦っています。

武田家当主の武田信玄は領土を拡大するために何度も攻めてきますが、とにかく強い

1572年の三方ヶ原の戦いあたりまで、徳川家康は武田軍に大苦戦します。

さらに、この頃の家康が治める三河・遠江は、西に織田、東に武田、その向こうに北条周りが強すぎる・・・。

ただ、尾張の織田信長とは清州同盟により協力関係にあるので、基本攻められることはありません。

その為、北や東から攻めてくる武田軍が大きな脅威でした。

4人の死が大きな転機

徳川家康にとって躍進の転機となったのが、この4人の死。

  • 今川義元
  • 武田信玄
  • 織田信長
  • 豊臣秀吉

徳川家康の人生の前半では、今川義元武田信玄の死が大きな転機となります。

1560年の桶狭間の戦いで、家康が仕えていた今川義元が討ち死に

  → 家康は今川家の支配から独立し、三河の大名へ

1572年の三方ヶ原の戦いで家康は武田軍に大敗、その直後に武田信玄病死

  → 脅威であった武田家を滅亡へ追い込む

特に武田信玄の死は、家康にとって人生最大のピンチからの命拾いとなりました。

その後、信長、秀吉の死を経て天下人へ。

かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス

辛抱強くしたたかにチャンスが訪れるのを待った家康らしさが感じられます。

予習記事一覧

徳川家康の人生前半について、流れをつかめるようにより詳しく知りたい方に向けた予習記事です。

大河ドラマ「どうする家康」を楽しむために知っておきたい背景を、ざっくりとなるべく分かりやすく(ちょっとおふざけも入っていますが)説明しています。

※記載の年齢は数え年です。

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