上杉謙信の居城・春日山城へ行ってきました

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新潟県上越市にある春日山城へ行ってきました!

上杉謙信のお城、日本五大山城の1つ。

2009年のNHK大河ドラマ「天地人」の前半の舞台になりました。

上杉謙信やその側近の屋敷の跡地ですが、現在はほとんど残っていない!

ただこの春日山城跡、土塁や空堀などの遺構(※)はたくさん残っていますが、建造物がほとんど残っていないので城めぐりとしてはやや難易度高め

※遺構:過去の建造物の形や構造を知る手がかりとなる残存物。

背景を知らずに行くとただの山登りになってしまうので、予備知識があったほうが断然楽しめると思います。
まぁ、山登りとして行く春日山城跡も楽しいので、程よい山登りを楽しみたい方にもオススメです。

立て看板や石碑で目印はありますが、事前にお勉強をしていかないとせっかく来ても「ふ~ん」で終わってしまう可能性があります。

春日山城を楽しむために、上杉謙信について知っておきましょう。

また、この城で起こった「御館の乱」というできごとも知るとさらに面白くなります。

上杉謙信と御館の乱についてこちらの記事で簡単に分かりやすく説明しているので、ぜひ事前に一度目を通してみて下さい。

春日山城について

長尾高景→長尾為景、晴景、上杉謙信、上杉景勝、堀秀治

標高182m 今回散策したルートはこちら。

写真を撮ったりゆっくり看板を見ながらで2時間弱でした。

山登りと考えれば程よい運動量で、我が家の小学2年の次男も問題なく歩けました。

難攻不落の山城と言われただけあって、 実際散策してみると、城の防御力の高さが分かりました。

上杉謙信の時代、春日山城が攻められることはなかったとされていますが 謙信の死後、跡目争いの「御館の乱」が起こり、戦いの場となってしまいました。

見どころ

それでは春日山城跡の見どころを紹介します。

春日山城跡には、建物こそほぼありませんが、土塁などたくさんの遺構が残っています。

石碑や看板を見ながら思いをはせてみてください。

石碑に「阯」という漢字がたくさんでてきますが、「あと」とのことです。

春日山城跡ものがたり館

上杉謙信の生涯や春日山城に関するビデオが上映されています。

春日山城の歴史や出土品が展示されています。

100名城スタンプもこちらにあります。

ものがたり館の外などにこんな感じのポストみたいなものがあり、春日山城跡のパンフレットが入っています。

パンフレットをゲットして春日山城跡へ行きましょう。

今回はこのようなルートで春日山城跡を散策しました。

もっと下の方から登るルートもありますが、春日山神社の下の駐車場まで車で来ました。

春日山城 案内看板より

所要時間は、写真を撮りながらゆっくり回って1時間半程でした。

時間の都合上、残念ながら景勝屋敷と柿崎屋敷には行けなかった(行きたかった)。

上杉景勝は謙信の養子です。

柿崎景家は謙信に仕える猛将で、謙信を支える重要人物の一人。

第4次川中島の戦いでは、敵である武田信玄の軍師山本勘助を打ち取ったのも柿崎景家の手勢と言われています。

それでは春日山城跡に入っていきます。

春日山神社

駐車場から135段もある入口の階段、しょっぱなから心をへし折られそうになりました。

階段を上ると春日山神社があります。

明治34年に、山形県米沢市の上杉神社より明治34年(1901)に上杉謙信の御霊を分霊された。

謙信公を祭神とした神社で、初詣には多くの参拝客が訪れる新潟県で人気の初詣スポットです。

謙信の負け知らずの強さや義を重んじる人格に拝みたくなります。

春日山神社の参拝を終えて、右のルートへ。

森林浴を楽しみながら進んでいきます。

千貫門

ここには千貫門という巨大な鉄の門が立っていたようです。

「千貫」の「貫」は重さの単位で、「千貫」は3750kgになりますが、「非常に重い」という意味もあるようです。

千貫門の奥には空堀が2本あります。

千貫門から見ると一見道のように見えますが、これは道と見せかけてそのまま進むと崖の下に落ちてしまう仕掛けになっています。

ものがたり館にあった春日山城復元絵図にイメージを当てはめてみるとこんな感じでしょうか。

行き止まりならまだしも、崖から落とすという恐ろしい罠ですね。

石碑に書いてある「塹濠(ざんごう)」とは敵が侵入しにくくするために城砦周りに設けた溝のこと。

この空堀を指しているのでしょう。

直江屋敷

千貫門を通ると直江屋敷に続いていきますが、その手前に虎口(城の出入口)があります。

この虎口、かなりクネクネしていてヘアピンカーブになっています。

狭いし大勢で勢いよく登るのは難しいと思うので、防御力の高さがうかがえます。

このあたりで山登りがだいぶきつくなってきます。

直江屋敷に着きました。

直江といえば、NHK大河ドラマ「天地人」の主人公直江兼続ですね。

上下3段のエリアが直江屋敷です。

直江兼続は、元々は上杉謙信に仕える樋口家の長男ですが、同じく謙信に仕えていた重臣の直江家が断絶の危機になり、兼続が直江家の婿養子になることで、直江兼続となります。

直江屋敷の上には御花畑が。なんてメルヘンなエリア!

小雨が降っててこの辺霧が出てました。

毘沙門堂

上杉謙信が戦の前に戦勝祈願をしていたという毘沙門堂です。

大河ドラマ「天地人」でも阿部寛さん演じる上杉謙信が毘沙門堂にこもるーンが何度も出てきました。

天地人で出てくるのはもっと洞窟っぽい毘沙門堂だった

私のように天地人の毘沙門堂をイメージしてると、「ちょっとイメージと違ったぞ?」となるのかもしれないですね。

どちらかというと、大河ドラマ「風林火山」でGACKT謙信がこもってた毘沙門堂の方が近いかな。

この毘沙門堂は復元されたものです。かけら分けてもらった

扉のところに少し穴が開いているので、そこから中を覗けます(ちょっとドキドキしました)。

本丸・天守台

いよいよ頂上の本丸です。 上杉謙信が住んでいたお屋敷がここにあったと思われます。

横には天守台があったようで、本丸と天守台の間は空堀になっています。

春日山城で起こった御館の乱では、上杉景勝勢がこの本丸を占拠したことで有利になります。

大河ドラマ「天地人」でも、本丸から下の方にある三の丸に向かって攻撃を仕掛けるシーンが出てきますが、上からの見晴らしの良さを考えると本丸にいる方が有利ですよね。

天気が悪いのが残念。

大井戸

本丸の裏手には大井戸があります。

今でも水が入っています。

お城では籠城戦も想定しないといけないため、井戸は命綱となります。

二の丸

二の丸は、実城(本丸を取り囲む城の中心エリア)の東下にあります。

笹井戸という井戸の跡が残っています。

江戸時代に描かれた古絵図では台所と書かれたものがあり、もしかしたら炊事場のような場所だったのかもしれないですね。

三の丸

三の丸には、上杉謙信の養子の上杉景虎の屋敷と、米蔵があります。

景虎屋敷
米蔵

ここに残っている土塁は春日山城の中でも最も良い状態で残っています。

※土塁:敵の侵入を防ぐために土を盛って作った防壁

近世(江戸時代)の城の城壁は石垣で作られることが多かったですが、中世(鎌倉~室町時代)のお城はの城壁は土塁も多いです。

三の丸を下っていくと「甘粕近江守宅阯」という石碑が。

甘粕といえば、謙信の重臣に甘粕景持という猛将がいます。

謎の多い武将ですが、第4次川中島の戦いでは撤退する謙信部隊を無事に逃がすため、しんがりを引き受け活躍しました。

※しんがり:退却する部隊の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊

謙信が亡くなった後は景勝に仕え、景勝と一緒に会津や米沢に移ります。

春日山神社の近くまで戻ってきました。

謙信公の銅像が出迎えてくれます。

この銅像の前にお土産屋さんがあるのですが、謙信ファンの心をくすぐるツウな品物が多くて面白かったです。

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