【家康の三河平定③】家康人生の三大ピンチ!三河一向一揆とはどんな出来事?

どうする家康

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この記事は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』を楽しむための予習記事です。
「大河ドラマは難しい」と思っている方にも、通説をもとに大まかになるべく分かりやすく背景を紹介しています。
予備知識があると、大河ドラマがグッと面白くなりますよ。

1563~1564年の半年に渡って起こった三河一向一揆

名前を知ってるかどうかのそこまで有名ではない出来事かもしれないですが、徳川家康にとっては重大事件!

家康人生三大危機の一つと言われています(他、三方ヶ原の戦い、神君伊賀越え)。

どうする家康でも登場する三河一向一揆について、なるべく分かりやすく紹介したいと思います。

三河一向一揆とはどんな出来事?

家康が統一を目指そうとしている三河。

その西側にある、西三河で一向一揆が勃発します。

家康、西三河を平定できたと思ってたのに・・・

一向宗は、浄土真宗の一派である本願寺派と呼ばれる宗派。

西三河で一向宗が広く浸透していました。

浄土真宗や一向宗の説明すると難しくなるので、サラッといきます

ひとたび一揆が起こると、織田信長も大苦戦した一大勢力です。

西三河の数箇所かで一向一揆が起き、1563~1564年の半年程かかり終結します。

なぜ起こった?

三河一向一揆が起こったきっかけは、説がいくつかあります。

その一つが、家康の家臣・菅沼定顕さだあきが、上宮寺に置いてあったもみを無断で持って行ってしまったこと。

もみ:刈り取った状態のお米

とりでを建設するための兵糧として持っていったとされています。

※兵糧:戦などで兵士が食べる食事

本證寺でもいざこざが起こっていたり、上野城でも不穏な動きがあったりと、家康側との対立の火種がいくつかありました。

上宮司などの寺院側と、家康の家臣との間で争いが起こります。

それを聞いた家康が寺院側を咎めたことで、寺院側が大反発し、三河の門徒へ号令をかけたことで一揆へと広がってしまいます。

なぜ寺院側が反発したのか

西三河にある上宮寺じょうぐうじ本證寺ほんしょうじ勝鬘寺しょうまんじは「三河三ヶ寺」と言われ、領主による寺内への不入の特権を与えられていました。

領主が干渉できない、特別扱いされていたお寺なんだ

そこに、家康の家臣が寺の籾を兵糧用に持っていってしまった等で、寺院側が「不入権が侵害された!宗門の危機である!」と怒ってしまったのです。

三河一向一揆のやっかいなところ

一向宗徒 vs 家康という構図になった三河一向一揆。

権力争いとも言えますが、他の戦とは少し違うやっかいな点があります。

仏を信じる力

進者往生極楽 退者無間地獄」(前進すれば往生極楽 退却すれば無限地獄)

「南無阿弥陀仏」

一向宗徒はこのような旗を掲げ、戦ったようです。

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の織田信長と本願寺との戦いでも、この旗を掲げている兵がいました

死んでも極楽へ行けると信じ、死をも恐れず戦う。

ある意味、無敵で恐ろしい・・

それに対抗し、家康軍は「厭離穢土おんりえど欣求浄土ごんぐじょうど」の旗を掲げて戦ったという話があります。

家康の家臣が分裂

家康にとって特につらいのが、家臣の分裂

家康の家臣の中に一向宗徒もたくさんいたので、信頼していた家臣の半分程が一向一揆側についてしまいました。

さらに、家族や親戚同士、友達や知り合い同士での戦いも。

地元の仲間が敵同士になるというつらい戦いになります。

これはかなりやりづらい・・・

一揆側についた家臣の中でも、家康への忠義と信仰心の板挟みにあって苦しむ者も多くいました。

板挟みの葛藤が垣間見えるエピソードも。

筧正重かけいまさしげ(一揆側)が放った矢が平岩親吉ひらいわちかよし(家康側)の耳に当たってしまうが、家康が出てきたため筧正重は退散し、平岩親吉は命拾いした

蜂屋貞次はちやさだつぐ(一揆側)は槍の名手として強い武士だが、家康が姿を現すと退散した

一向一揆側についた家臣も、家康への忠誠心をなくしたわけではなさそうです

自国の家臣や領民同士が戦ってしまうと、こんなデメリットも。

  • 兵力が減ってしまうため、国力が弱くなる
  • 内紛状態なので、他の国から攻められやすくなる

家康としては、できることならやりたくない争いです。

三河一向一揆の主なメンバー

三河一向一揆の中心人物の一人が、本證寺の僧侶空誓くうせい

武闘派で怪力の持ち主であり、一揆勢に激を飛ばしながら、他の三ヶ寺などと協力し家康の家臣を相手に戦います。

空誓は、蓮如れんにょ上人の孫(ひ孫とも)。

蓮如上人は、浄土真宗を全国に広めた有名な僧侶です

宗徒への影響力もかなり高かったことでしょう。

大河ドラマ「どうする家康」では、空誓市川右團次さんが演じます。

一向一揆勢 対 家康勢

家康家臣の半数ほどが一揆側についてしまいますが、主な人物はこんな感じです。

一向一揆側についた主な家臣
  • 本多正信、正重
  • 渡辺守綱
  • 夏目広次(吉信)
  • 蜂屋貞次
  • 酒井忠尚
  • 内藤 清長
  • 加藤教明

など

NHK大河ドラマ「どうする家康」で出演が発表されている、一向一揆勢のキャストの方々。

本多正信:松山ケンイチさん

渡辺守綱:木村昴さん

夏目広次:甲本雅裕さん

葛藤の中、一揆勢として家康を相手に戦う方々ですね。

ちなみに、夏目広次は夏目漱石の先祖らしいですよ

松平家譜代ふだいの家臣も多く寝返ってしまいます。

※譜代・・・代々にわたり仕えること

親族同士で分裂してしまった家臣も。

※酒井忠次と忠尚の関係は諸説あり

こんな戦い嫌だよー

身内同士が直接戦ったかどうか分かりませんが、非常に戦いづらい状況だと思います。

石川数正、榊原康政、本多忠勝、服部半蔵(正成)などは、一向宗から改宗してまで家康側についています。

榊原康政は三河一向一揆が初陣です

ちなみに、家康のおじで織田方の水野信元、家康に援軍を出してくれます。

三河一向一揆の終息と和睦

1564年、馬頭原での戦いで家康勢が勝利し、和睦へとつなげます。

家康は、一揆側へ離反した家臣に対し寛容な対応を取ります。

離反した家臣の帰参を許し、多くの家臣が家康の元へ戻りました。

家康の寛大な対応で戻ってこれて良かった

帰参した家臣は恩を感じ、以後は家康の為に命を懸けて戦います。

一揆派から帰参した家臣のその後
  • 本多正信・・・三河一向一揆後に出奔しゅっぽん(逃亡)するが、数年後に戻ってきて家康の参謀になる
  • 渡辺守綱・・・馬廻りとして主要な戦で活躍(徳川十六神将の一人)
  • 蜂屋貞次・・・帰参した後に馬廻りになるが、数か月後に吉田城攻めで死去(徳川十六神将の一人)
  • 夏目吉信・・・三方ヶ原の戦いで自ら家康の身代わりとなり討死

など

※馬廻り・・・家康を守る親衛隊

帰参後は家康のために忠義を持って活躍します

家康にとって大変な事件でしたが、家臣団の結束が強まったといえる出来事でもありました。

一方、寺院側には厳しい対応をしました。

  • 寺院に改宗を命じ、拒んだ寺院を破却し、僧侶を追放
  • 三河での一向宗の布教を禁止

東三河の平定を再開、三河統一が完了

三河統一に向けて、東三河の平定を進めていましたが、三河一向一揆で中断していました。

一向一揆が鎮圧されると、東三河の侵攻を再開します。

吉田城、田原城、牛久保城などを落とし、家康は三河統一を遂げます

まとめ

三河一向一揆という一大危機を乗り越えた徳川家康。

一揆側には、純粋な一向宗徒だけでなく、家康に反発する今川方の国衆も加わっていたされています。

「家康勢 vs 一向一揆勢」 だけでなく、「家康勢 vs 今川勢」 の側面も持っていたと言えます。 

三河統一を目指す家康にとって、不入権を有する寺院との戦いは避けて通れなかった道かもしれません。

三河統一を成し遂げた徳川家康は、三河の軍事態勢を整えます。

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