愛知県蒲郡市にある上ノ郷城跡へ行ってきました。
城主として有名なのは鵜殿長照。
守りの堅い城であったとされています。
戦国時代に造られた「中世城郭」。
100名城・続100名城ではないので見過ごしていましたが、土塁や空堀が残っていたり、小高い山の上で見晴らしも良く、見応えがありました。
アクセス
駐車場は3台停められます。
赤日子神社の駐車場を利用できますが、注意書きもありました。
神社の行事等の際には、関係車両が最優先で使用します。
城跡見学者の方は、ご利用をご遠慮いただく場合があります
少し狭い道なので、車の際はお気をつけて。
駐車場でパンフレットもゲットできました。
見学は無料で特に時間の決まりもないですが、小高い山になっていますので明るい内に登った方が良と思います。
トイレはないので事前に行っておくことをおすすめします。
上ノ郷城のについて
お城の背景を知ってから行くと、より一層お城が楽しめると思います。
エピソード
上ノ郷城の一番有名なエピソードは、徳川家康に攻められ落城したことではないでしょうか。
1560年の桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、今川家に従属していた徳川家康は今川家から独立しようとします。
徳川家康が三河を統一する際、今川家に置いてきてしまった正室・瀬名姫と子供が今川家で人質になってしまう。
1562年、今川家と人質交換にこぎつけるために上ノ郷城を攻めます。
目的は、上ノ郷城の城主で今川家一族の鵜殿長照を生け捕りにすること。
しかし、鵜殿長照は戦死。
代わりに、二人の息子を人質として捕まえ、家康の妻子と人質交換へ。
守りの堅い上ノ郷城を攻める際は、夜中に甲賀衆を使って城内に火を放ち、その混乱の中から攻め入ったという逸話があります。
徳川家康に渡った後は、上ノ郷城に久松俊勝(徳川家康の義父)が入ります。
久松俊勝は、徳川家康の母・於大の方の夫。
家康の父・松平広忠と離縁した於大の方は、久松俊勝に嫁いでいます。
上ノ郷城を散策
駐車場から歩いて15分もすれば上ノ郷城の主郭部分に着きます。
上の方に大きく「上ノ郷城跡」と書いてある看板が見えます。
駐車場のすぐそばにある看板。
上ノ郷城跡の主郭までの道は矢印で示されています。
周りにはみかん畑があり、みかん畑の中の道を進んでいきます。
蒲郡市はみかんが有名ですからね。
南側に土塁があります。
さらに奥へ。
山を登る道は階段になっています。
みかん畑の中にある迷路みたいでちょっと楽しい。
地元の方にしっかり管理されて愛されている様子も分かりました。
もうすぐ山頂。
山頂にある主郭エリアへ到着。
城跡なので建造物はなく、広い平面があるのみです。
小雨が降っていたので眺めはいまいちですが、近くに見える山に霧がかかっていて幻想的な雰囲気でした。
ビニールシートがかかっている部分は、柱の穴や井戸が確認されたようです。
降りる時は看板の矢印と逆方向に進むことになりますが、方向音痴の私は何度か迷子になりました。
合わせて寄りたい場所
上ノ郷城跡の周辺には関連するスポットがいくつかあり、特に寄ってほしい場所を紹介します。
蒲郡市立西部公民館
上ノ郷城や周辺施設について紹介した案内図やパンフレットが置いてあるので、是非寄ってほしい場所です。
発掘調査を参考にした上ノ郷城の復元模型もありました。
御城印はここで販売しています。
私が行った時はスタッフさんが親切に歴史について教えてくれました。
対応可能な曜日・・・火~土曜日 9~12時、13~16時
鵜殿坂
上ノ郷城の城主・鵜殿長照が徳川家康に攻められ、逃げた際にこの坂で殺害されたという言い伝えがあります。
木の根っこにつまづいて転んでしまった所を討たれてしまったよう。
鵜殿長照の怨念で、この坂で転んでけがをすると治らないという伝説が残っているらしいです。
ゆるい坂になっています。
他にも、上之郷城攻めに関する場所として「家康の腰掛岩」という場所もあります。
『どうする家康』の第6話で家康が陣をしいた名取山。
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